こんにちは。事務局の渡辺です。
ここ最近、自分の周りで誰かが亡くなったという悲しい知らせを聞くことが多いです。
そういうことがある度にいつも考えることがあります。
僕が大学生の時、友達のような兄貴のような存在の人がいました。
たまたま知り合って、たまたま好きな音楽が一緒で意気投合し、そして、たまたま彼は車椅子に乗っていました。
「自分と同じような障害で悩んでいる人がもしいるのならその手助けをしたい。そのための会社を作りたい。」
彼の話を聞き、自分も一緒に会社をやりたいと思うようになり、大学を卒業したら彼と夢に向かって行く決意をしました。
彼が亡くなったのは、雪の降る寒い日の朝でした。
あまりに突然のことで、これからどうして良いのか分からなくなりましたが、一つだけ思ったのは、なんとか彼の意志を繋ぎたい・・・ということでした。
そんな自分を拾ってくれたのが、今の株式会社ティンクです。実は、彼は小川の後輩で、彼が会社を立ち上げる手助けをしようとしてくれていたのが、他でもない本多と小川だったのです。
そうして入社した自分ですが、意志を繋ぎたいと思ったにも関わらず、日々の出来事の中で自分の弱さに負けて、一体何をしたかったのか分からなくなる時があります。
できない自分は駄目なやつなんだ…
なんでこんな事をしないといけないんだろう…
あの人は良いよね、でも自分なんて…
一体何のために生きているんだろう…
きっと、誰でもそんなふうに思う瞬間があるのではないでしょうか?
先日、ある本を読んでいたら「生きる意味は、問うものではなく、問われるものだ。」ということが書いてありました。
なんのために生きているんだろう…
ではなく、どう生きていくか
今ある環境や状況の中で、精一杯向き合い、その上で自分が何をどう選択していくのか?
そして、きっとそれは、どんなに偉い人でも、どんなに貧しい人でも、いわゆる健常と言われる人でも、障害のある人でも、同じなのではないか?
自分で考えて、自分で選択して、自分のやりたいことを、自分のやりたい方法でやる。
その過程で、越えなければいけない課題があるのなら、やりたくないこともやる。
もしもうまくいかなければ、ちゃんと悲しんだり悔しがったりして、次はどうすれば良いのかを考える。うまくいったら喜んだり、それに対するやりがいを感じて、次はもっと挑戦することができる。
当たり前かもしれませんが、そういうことが大切なのだと気付かされたように思いました。
なかなか現実は、そうできないことの方が多いです。
でも、そうであろうとする心が試されているのだと思いました。
「生きる」というのは、起きて、食べて、寝て、毎日同じことを繰り返す。
もちろんそれも幸せなことですが、ただそれだけではなく
「命を輝かせること」なのだと思います。
おこがましいようですが、弊社をご利用いただいている子どもたちの命も輝いて欲しいと思いますし、もしも一緒にそんな経験をしていくことができたのなら…
少しは彼の意志も繋げているのかな? なんて思いました。
コメントをお書きください