何かを「生み出す」時、それは例えば・・・
物でも、人間関係でも、イベントでも、制度でも、
無から有をつくるのはすごく大変なことだと思います。
生みの苦しみとはよく言ったものです。
僕は何かを自分から生み出すのはあまり得意ではないのですが、
例えそれが得意な人(もしくは得意そうに見える人)であっても、
並々ならぬパワーが必要なのだということを、周りの人たちを通して何度も見てきました。
10年前、mieとまーぴーがモンキーハートパーティーを立ち上げた時も、まさにそうでした。
当時、僕は右も左も分からず、とりあえず「やりたい!」という気持ちのみだったと思います。
今になって思えば、きっとそこまで深くは理解できていなかったのだと思います。
「生み出す」ことと同じくらい大変なのが「続ける」ということ。
僕がこの10年間参加してきて思うのは、「続ける」というのは、
ただ単に「ずっとやる」とか「何度もやる」とかいうことではないということです。
僕は映画が好きでよく観るのですが、
1作目がヒットして、2、3とシリーズ化していった作品は、
大抵の場合、どこかでつまらなくなってしまったり、
何か根本的に別物になってしまったかのような違和感を感じることがあります。
それは、1作目を作った時の想いや情熱、
これだけは外せないという理念のようなものが、
様々な理由により変化してしまうからなのではないでしょうか。
変わることが悪いのではなく、いやむしろ手法を変えていくのは良いことですが、
もしも「続ける」ために、絶対に外せない理念のようなものまで変えてしまったとしたら、
それはもう似ているだけの別の何かだと思うのです。
だから、生み出した時の想いや情熱、理念を持ち続けたまま、
やり方や方法、伝え方をその時の状況に合わせて変え、
でも常に原点に立ち戻りながら継続していくこと・・・
それが「続ける」ということなのではないでしょうか。
こうして文章にしてみるとなんだか仰々しくなりましたが、
「続ける」ということの重みみたいなものを感じる気がします。
モンキーハートパーティーもお陰様で
たくさんの方々に支えられて今日まで続いています。
その中でmieとまーぴーは、
変えるべきこと、変えざるを得ないこと、絶対に変えてはいけないものとの葛藤の中
常に戦ってきたのだと思います。
本当の障害とは、心の中にあるいらないもののこと・・・
それは決して「障害者」と言われる人たちだけのことではなくて、
「健常者」と言われる人たちや、誰の心の中にも存在するもの・・・
いや、むしろそういう人たちにこそ気づいて欲しい・・・
そしてそれを受け入れた時、きっとそれはクラッシュできる!
例え身体が不自由でも、知的の障害があっても、
すごく偉い人でも、生まれた国が違う人でも、みんな同じなのだから・・・
自分自身もう一度原点に立ち戻り、
mieとまーぴーのそばで10年間参加してきた者として(笑)
自分にもそれを伝え続けていく責任があるのだと、改めて思いました。

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