「孤独」と「お互い様」

こんにちは!
事務局の渡辺です。


ここ数日で急激に暑くなりましたが、
みなさん体調など崩されていないでしょうか?

 

身体の健康も大事ですが、心の健康はもっと大事!

心が健やかでないと、それに連動して
身体の調子も崩れがちです。


僕は最近、「孤独」というものについて
考えることがありました。

 

「孤独」と言っても、単に一人で居て寂しいとか
そういう表面的なものではなくて・・・


もっと根源的な「孤独」


ある種、幸せなことですが、自分は今まで
そういうことについて、あまり考えてこない人生を
歩ませてもらってきました。

 

改めて考えてみると、一体「孤独」って何だろう?


人は一体どんな時に「孤独」を感じるのだろう?

 

それを考えることや感じることが、
きっと自分と向き合うことになると思うし、
それが誰かと向き合うことにもつながる・・・
そんなふうに思いました。


自分が「孤独」を感じる時って?


それは、分かって欲しいのに分かってもらえない時。

 

そして、大変なのは自分だけだと思い込んでしまう時。


でも、自分と同じ生い立ち、同じ境遇、
全く同じことに悩んでいて、全く同じことを考えている・・・

 

そんな人は存在するわけありません。

 

例えそれが自分の家族であったり、恋人であったり、
どんなに近い存在であったとしても、
違う人間である以上、完全に「分かる」ことなんて出来ません。


弊社の小川には「身体障害」と言われるものがあって
どんなことをサポートして欲しいと思っているのか?
どんなことに悩んでいて、どんなことを感じているのか?
それを想像したり、聞いたりすることはできるけど
今の所、身体障害と言われるもののない自分が
「分かりますよ」なんて簡単に言うことはできない。


それは障害のあるなしに関係なく、
そもそもみんな違う人間なのだから
完全に「分かってくれる」人なんているわけないのに
それでも人は「分かって欲しい」と思ってしまう。

 

関係が近ければ近いほど、うまく伝えられない・伝わらないと
「なんでわかってくれないの!!」という負の感情になる。


だけどこれって、そもそも「分からない」のが当たり前で、
どれだけ「分かろうとする」か、
どれだけ「歩み寄ろうとする」か、
その意識なのか、姿勢なのか、過程なのか・・・
そういったものが大事なのであって、

「分かる」「分からない」の結果の部分に
きっと答えはないのだろうと思いました。


そして、人は(というか特に僕は・・・なのですが)
ついつい「自分だけが大変」という、
偽りの孤独感に苛まれてしまいますが、

自分がそう考えるという事は、
それはそっくりそのまま、自分の周りにいる「他の誰か」も
そういうふうに考えているということ。


僕が「分かってほしい」と思うことは、
誰かも「分かってほしい」と思っているということ。


だから、変な言い方になってしまいますが、
人は誰でも「孤独」だし、
きっと完全に「分かり合える」ことはないのだと思うけど、
だけどそれは自分だけじゃなくて
誰もがそうだという「ごく普通」のこと。


そうやって考えを整理していくと、
なんだか少しスッキリした気がしました。


僕は、すぐに物事を複雑に考えてしまい、
中々シンプルな気持ちや行動に表すことができないですが・・・


「自分にしか出来ない」って思っていたことが
「別に誰でも出来ること」だったり、

 

「こんなことやりたくない!」って思っていることが
実はそれが自分の本当の役割であったり、

 

自分が頼られていると思っていたことが、
実は自分の方が依存していたと気づいたり、

 

自分の力で「やっている」って思っていても
実は誰かがそれを成り立たせてくれていたり・・・


こうやって考えると、
きっと「孤独」と「お互い様」の関係は表裏一体。

 

「孤独」が駄目なんじゃなくて、
「孤独」があるから「お互い様」でいられる。

 

そして、それと向き合い続けていくことが、

きっと自分を大事にすることにつながるし、

それが誰かを大事にすることにつながるし、

本当の意味でのハピネスにつながるのだと・・・

そんなことを最近考えていました。

 


みなさんは、どんな時に「孤独」を感じますか?

 

 

自分を大事にしていますか?

 

 

大切な誰かを大事にしていますか?